街はクリスマスモードに飾られている25日(水) 7時5分永遠の眠りにつきました。

病名は「腎盂癌」  

4月の検査で白血球の数値が高く直ぐに「日赤病院」での
検査結果、末期の状態でした。
我慢強い兄なので
微熱ぐらいは平気です。痛みもなく、暑い夏も乗り越えました。
10月とうとう食事が採れず体を支えることも難しくなりました
10月14日入院。暫くは点滴だけでしたが、それだけでは栄養不良。食事で補わなくてはいけない状態になりました。
重湯も飲み込むのが難しく・・・時間をかけて少しづつ食べさせ続けました。

東京に帰る日の12月15日、今までで一番良いお顔を見せてくれました。
食事も大きな口を開け「ヤクルト」と自分の好きなものをハッキリした口調で催促するのです。
瞳を動かし元気なころと変わらぬ表情でした。

帰宅すると何時も一変して不調に成ってしまいます。最後に会ったのは22日。
もう・・・・眼も開けないのです。「兄ちゃん!眼を開けてよ・・・」と話すと瞳を一生懸命開けようとしますが開けられません。背中をさすり、帰る挨拶をすると
「ご苦労さん!」と一言・・・・・・
この言葉が最後の言葉になりました。
やさしく、一生懸命に生きた81歳の生涯でした。
       

悲しい知らせ   2013年 12月25日

黒部渓谷 (2005・5・29)

金婚式2007年